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         青少年のための出前講座 実施報告

      2つの源流・2人の医師
   −緩和ケア・全人的医療を目指して―

             小笠原 鉄郎


                              宮城県立がんセンター緩和医療科科長


1)わが国には、現在150万人のがん患者さんがいて、国民の1/2ががんになり、1/3( 毎年35万人)ががんで死ぬという、いまだ治療が困難な病気です。治療の目標は、その進行度により異なり、再発がんの治療目標は完全治癒ではなく延命です。そして終末期には症状緩和はもとより人生の締めくくりの援助がその目標となり、それぞれの専門家が担当します。それはちょうど、プロ野球のピッチャー交代(先発中継ぎクローザー)にも似ています。

2)病気の治療法には原因療法、対症療法の2つがあります。この2つは医学の源流である古代の医療から、「くすり/科学的」と「いのり/介護的」として車の両輪のように2つの大きな流れとなって今に至っています。しかし、19世紀末に病原菌の発見と感染症の治療という目を瞠る進歩が見られ、以来、原因をつきとめ撲滅することがすべての治療法のモデルとなり、痛みを和らげ、熱を下げ、吐き気を抑える、介護をするといった対症療法は二の次になってしまいました。とりわけ病気によってもたらされるいろいろな患者さんの悩み苦しみには医師の関心が及ばなくなってしまいました。

3)そこでいろいろな苦悩を持つがんの患者さんに丸ごと(からだだけでなくこころも、くらしも、そしてたましいも含めた、つまり全人的に)向き合おうとしたのがイギリス人女医、シシリー・ソンダースさんです。1967年にロンドン郊外に、ホスピスを創設。主に末期のがん患者さんのケア(苦痛を取り除き、人生最後の時を生き抜く支えとなる医療)を始めました。その働きは全世界に拡大し現在に至っています。

4)日本にもすでに明治時代に全人的医療、ケアが必要であることを唱えた医師がいました。木兼寛です。明治維新を戦い、ロンドン大学に留学し最優秀で卒業、つまりS.ソンダースさんと同じ大学の先輩にあたります。当時の日本では結核と脚気が国民病で、当時は原因不明でした。彼は海軍軍医でしたので、遠洋練習航海の乗組員を対象に実験を行い脚気の原因が栄養不足(白米食)にあることを見事に証明(後にビタミンB1欠乏と判明)したのです。しかし当時の最先端であった細菌学をドイツで学んだ森鴎外(陸軍)は原因は細菌であると主張、そのため日露戦争では脚気で死亡した兵士が3万人に及びました(海軍87人)。そのような優れた科学者であった木は、一方でイギリスで学んだ看護学を日本に導入した最初の人でもあり、彼は後に、全人的医療(まさにシシリー・ソンダースさんが目指したのと同じ)を提唱、「病気を診ずして病人を診よ」という言葉を残しました。2人の医師の働きは、実際の人間の営みをしっかり観察するイギリス医学の伝統に沿ったものと想像されます。

5)特に終末期においてはひとりひとりの人生の歴史や人生観を大切にしてケアをしていく「全人的医療」が求められるのです。

 

反省と感想

 授業に当たって 、「75歳の男性肺癌末期の模擬患者さん(生徒さんのおじいちゃんという設定)について、孫の立場から、治療法の選択や対処法について皆で考えてみる」 という課題を出してみましたが、もう少し時間をとって、グループワークが出来ればよいと思われました。

 子供達に、日本が生んだ偉人を是非とも紹介したかったのですが 多少話が難しかったようでありました。私自身、中学生に接した経験がないため、興味の有無やレベルが分からず、その点子供達には大変申し訳なく思っております。

 それにしましても、体育館の中のお世辞にも良いとは言えない環境の中で、じっとおとなしく座り続けた子供達の忍耐力には驚かされました。




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リーフレットはこちらから ダウンロードできます↓
遺族の会 ふれあい
ホスピス 110番
仙台ターミナルケアを考える会