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       第138回「生と死のセミナー」
    

 
「生と死を考える ~臨床宗教師と地域に
           ける宗教性の意義~」


      高橋 悦堂 氏
      
普門寺副住職・臨床宗教師

 

 東日本大震災の後、私は市内の僧侶とともに、栗原市火葬場にて沿岸からの来られる震災犠牲者の読経供養に参加していた。その時、小学5年生の娘を津波で失った父親からの言葉が忘れられない。

「和尚さんに拝んでもらって、やっと安心しました」

僧侶の読経で娘さんが生き返るわけでも、お経の功徳で喪失の絶望が雲散霧消するわけでもない。それであっても、その父親に涙ながらそう言わせしめたものは一体なんなのか。

その体験の後、宗教者による被災地移動傾聴喫茶カフェデモンクという活動に関わらせて頂き、そこに度々顔を出していた岡部健医師と親しくなった。岡部医師が亡くなるひと月程前の事、「悦堂は坊さんのくせに人が死に逝く姿を見たことがない。死んだ後にだけ出てくる坊さんに人の生死は語れない。オレは間もなく死ぬ。オマエはオレの最期を看取れ」と言われた。正直、どうしていいのか全く分からなかったが、親しい先輩宗教者やチャプレンに支えて頂き、岡部医師のご家族と共に、死に向かっていく岡部さんに向き合った。今もそのことを言葉にすることは難しいが、そこには、今ある命としての岡部健という存在がそのままあったのだと感じる(この感覚は、岡部さんだけが特別というわけで無いことが、在宅緩和ケアの現場に関わる中でわかっていく)。

岡部医師が生前に在宅緩和ケアの臨床で感じていた「死にゆく者に道標を示してきた宗教者を在宅緩和ケアの場に引きずり出さねばならない」という思いは、病による自身の死の現実と東日本大震災の体験から一層強まったのだろう。その思いは、東北大学文学部に実践宗教学寄附講座が設置され、他分野との連携を旨とする宗教者=臨床宗教師の養成研修が始まる原動力となった。

臨床宗教師の研修は、宗教者として他分野と連携するための知識(宗教界は良くも悪くも内輪の世界に閉ざされやすい)や、医療業界でいうところの霊的苦痛(スピリチュアルペイン)に対するケアの能力の向上(会話記録などを通じて自身の内面を掘り下げること)、指定された医療機関等での実習などから構成されている。もちろん、個人個人の信心の元、純粋な宗教者としての修行や研鑽も求められる。私は上記の研修を経て、現在、主に宮城県内の在宅緩和ケアの現場などで臨床宗教師として活動しており、患者さんやそのご家族へのケア、スタッフへのケア、勉強会の講師などを務めている。

岡部医師は生前に「霊的欲求」という言葉を使った。食欲や性欲と同じように人間の根本に備わっている目に見えないものに対する感覚と欲求である(食欲や性欲などが人により差があるように、霊的欲求も人によって差があると思う)。

霊性や宗教性に対する欲求は、結婚式や正月、祭りなどの祝い事、お盆や墓参りなどの供養、寺社仏閣などの巡礼や地蔵や観音、聖者への参拝などもそうだろうし、芸術や娯楽の題材としても現れている。先の大戦では、恐山のイタコに類する死者の言葉を語る霊能者が非常に活躍したといわれるし、東日本大震災などの究極ともいえる絶望と苦悩のなかにも、先述の父親のように僧侶の読経により娘が安らかなるという思いにも現れている。

人間が暮らす土地には、その土地の宗教性がそれぞれに存在する。現代の日本では、良くも悪くも仏教は葬儀や法要、お盆、お墓参りなどから死に関わるイメージが強い。前述の父親の例もそうだろう。その土地にある宗教性は、土地の文化や伝統、習俗として人々の心情に入り込み、喜びの時にも悲しみの時にも、人々の心の支えとして現れてくる。

宗教者そのものがその土地にある宗教性の現れの一つであり、人々の霊的欲求にコンタクトするものである。このことを活かし、その方面からのケアを求める人に適切に関わることが出来れば、臨床宗教師やその土地の宗教者は、岡部医師が期待した道しるべとしての役割を果たすことが出来るのではないかと思う。そのためには、宗教者と他分野の方々が親しく交流し、互いの役割や立場を理解し、個人対個人の信頼を醸成していくことから始めるべきなのだろう。その意味でも、今回、このような機会を頂けたことを心より感謝する。


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リーフレットはこちらから ダウンロードできます↓
遺族の会 ふれあい
ホスピス 110番
仙台ターミナルケアを考える会