日本では長く死を語ることはタブーとされてきましたが、死を学び、死に備え、与えられた生を大事に感謝して生きることを考える機会として「生と死」のセミナーを開催してきました。
しかし、東日本大震災後、日頃の生活の中で自分が死ぬ場合のことを意識している人が増えました。震災が日本人の死生観に大きな影響を与えているのは否定できません。それとともに、相互支援ということにも注目されるようになってきました。自分ができることでお互いを支えていこうという思いが広がってきました。
シンガーソングライターの八神純子さんは、震災後、宮城県・岩手県・福島県の被災地域を積極的に訪問し、音楽を通じての支援活動を続けてこられました。歌を聴いたり一緒に歌ったりすることが心のケアにつながることは皆さんもご存じでしょう。
今回は、八神純子さんの「音楽回想的」コンサートを聴き、被災地での支援活動についても語っていただきました。また、県内の病院で行われている様々な音楽療法などの取り組みを学び、「いのちと心を支える」音楽の力について考えました。
第1部 八神純子ノスタルジアコンサート(音楽回想的コンサート)
第2部 シンポジウム
◇テーマ 「いのちと心を支える」~音楽のチカラ~
◇シンポジスト
小笠原 鉄郎 氏:宮城県立がんセンター緩和医療科科長
(話題提供)
須佐 凉子 氏 :宮城県立がんセンター緩和ケア病棟
音楽療法士
大寺 雅子 氏 :東北大学大学院医学系研究科音楽音響
医学分野 音楽療法士
大森 智子 氏 :仙台市立病院医療技術部臨床検査科科長
臨床検査技師
八神 純子 氏 :シンガーソングライター
中保 利通 氏 :東北大学病院緩和医療科科長
(コーディネーター)
緩和ケアー病棟で歌うというボランティア活動、なぜか、いつかやりたいと心に願っていたことでした。音楽療法士などという資格を持っているわけではない私は緩和ケアー病棟にいらっしゃる患者さまをはじめ、そのご家族の方々とどのように接したらいいのか?どんな歌を歌えば喜ばれるのか?を知るため、病棟を訪ねる前にグリーフケアーの教授が書いた本を読み、その教授に時間を作って会っていただいたりもしました。
「それではそろそろ『みずいろの雨』でも歌いましょうか?」そう言って間髪入れず「あ~みずいろの雨〜」とピアノでさわりだけを歌ってみると、その前の『ふるさと』や『赤とんぼ』を歌った時にはなかった目の輝きに出会いました。「では!」と言ってカラオケと一緒に歌い出すと微笑みと共に手拍子までも始まりました。皆さんの心には何が浮かんだのでしょうか?『みずいろの雨』がヒットしていた頃住んでいた街のこと、仕事のこと、恋人のこと、家族で見たテレビ番組のこと、この曲を聴きながらドライブした時の風景、そんなものだったのでしょうか。
東日本大震災が起きて、あんなに一生懸命生きていた方々の命が一瞬のうちに、いとも簡単に失われたのを見てから、私にとっても確かな時間は『今』しかないのだと強く感じるようになりました。緩和病棟で歌う時の私の気持は『気の毒だから』という気持からではありません。『今』という確かな時間を分かち合いたいという気持からです。その時間はそこに居る全ての人がイーブンになれる時間でもあるかのように思います。歌い終わった後の「ありがとう」の言葉と微笑みは、「寄り添うこと」の尊さを教えてくれました。