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          平成25年度 定期総会特別講演

   「震災時医療の中の緩和ケア医」 
            日 下 潔 氏
                    石巻赤十字病院 緩和医療科部長

 

 平成22年6月初め、事務から連絡がありました。「今度の土曜日に災害時医療の訓練があります。必ず出て下さい。災害対策マニュアルで黒エリア担当になっています」と言われました。

 それまで災害時医療には全く関わったことがありません。マニュアルを読み、自分の役割が初めて分かりました。黒タッグを付けられた被災者が運ばれてくる場所で、既に亡くなった方や助かる見込みの無い方を担当します。

 平成23年3月11日に地震が起こったときはその日最後の外来患者さんを診ていました。揺れが収まってからその患者さんには帰って頂き、入院患者さんの居る6階まで階段を上って行きました。ナースステーションや薬剤準備室では棚が倒れたり、書類が床に散乱していました。マニュアルに沿ってそれぞれの部署に付くようにアナウンスがあり、私は直ぐに黒エリアに行き、他のスタッフと必要な物品を揃えるなどの準備を始めました。それから1ヶ月間、通常診療は停止し、災害時医療に専念しました。

 準備が済んでも被災者は運ばれて来ません。震災前から入院して居て、その日に亡くなった患者さんが2名運ばれて来ただけでした。しかし二日目からは様相が一変。被災者が次々と病院に運ばれて来ました。また、八戸からの医療救護チームの到着を皮切りに全国から支援チームが続々と病院に参集。自衛隊もやって来ました。避難所代わりに病院に集まって来る人も多く、病院内は大勢の人で溢れ騒然として来ました。

 黒エリアにも被災者が多く運ばれるようになりました。ご遺体はリハビリ室に安置しました。二日目に就学前の男の子が運ばれて来ました。呆然とする母親、彼女を盛んに責める祖母、次いで母親は号泣し体中で悲しさを表現。それをどう慰めたら良いか分からずオロオロする夫。夫婦に寄り添う二人の臨床心理士。その情景が忘れられません。

 三日目にはヘリコプターで収容された遺体が次々と黒エリアに運ばれて来ました。津波で亡くなり洋上で収容された方々のようですが、どこで収容されたかの情報は全く伝えられず、死因「溺水」とだけ記載し、氏名も何も空欄のままの死亡診断書を何通書いたことか。

 黒エリアでお世話した遺体は1ヶ月間で200体余り。その中でも印象深いのはやはり幼い子達のことです。ある父親は小型トラックの荷台に奥さんと双子の娘さんを無造作に乗せて直接黒エリアに運んで来ました。一緒に来た友人は「ちゃんと体を綺麗にしてやれないのか」とスタッフに詰め寄っていましたが、現実を受け止め切れないのか父親は言葉も無く、じっと佇むばかりでした。

 8歳の女の子を乗せて来た父親も居ました。看護師が「一緒に体を拭いてやりましょうか」と話しかけると、「ここに来るまでずーっと触って来たから」とそれを断り、「それより母ちゃんを探しに行くから」と奥さんを探しに去って行きました。三人で両親を迎えに行く途中で津波に遭ったのだそうです。

 非常事態で仕方が無いと分かっていますが、ご遺体を粗末に扱ってしまったことは誠に申し訳なく思っています。全ての震災犠牲者のご冥福をお祈り致します。




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リーフレットはこちらから ダウンロードできます↓
遺族の会 ふれあい
ホスピス 110番
仙台ターミナルケアを考える会