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          令和元年度 定期総会特別講演

    「いのちのほとり」で考えたこと
      −「周死期をどう支えるか−」
 
           滝野 隆浩 氏
                  毎日新聞社社会部編集委員
                  


 30年の伝統ある「仙台ターミナルケアを考える会」にお招きいただき、ありがとうございます。

 私は村井知事と同じ防衛大学校を卒業した記者であります。そのため編集委員として自衛隊をテーマとして取材しております。それと同時に力を入れているのは「死」の問題です。原点にあるのは、「日本社会は戦後、『死』をみないようにしてきたのではないか」という問題意識です。人は誰でも死ぬ。それなのに、死を直視してこなかった。本当にそれでいいのでしょうか。

 「周産期」という言葉があります。女性が子供を産む前と後は、周囲が手厚く支えなくてはならない。それと同じことが、人生の終わりにもあるはずだと考えます。そこで私は「周死期」という新しい言葉を、最近、使っています。人が亡くなる前後は、誰かの支えが必要です。そうした思いから、「死」の前と後にかかわっている方々を取材し、毎日新聞で昨年1年間、「いのちのほとりで」というタイトルの連載を書きました。きょうは、取材の過程で心に残った人の話をさせてください。まずは、「前」、つまり緩和医療とかホスピスにかかわる医療者です。

 日本のホスピスの第一人者といったら柏木哲夫先生です。先生は数多くのがん患者らをみとってこられましたが、その経験を踏まえ、「緩和医療・ホスピスは主流ではないが本流である」と言い切りました。病気を「治す」医療はもちろん、人を救いますから<主流>ではある。だけど、人の人生のいちばん最後を支えて送り出す意味で、みとりやホスピスは<本流>、つまり底を流れる確かな流れだと。いい言葉です。

 ほかにもたくさんいて紹介しますが、やはり山室誠先生のことは忘れられません。私は先生の「死の模擬体験ワーク」を2度聞きましたが、2度とも泣きました。ほかにも同様のワークを実施している方はいるのでしょうが、山室先生のワークは緩和病棟の体験に深く結びついているので、心の奥底に言葉が届くのです。そして先生は「看取り文化の再構築を」と訴えておられます。

 さて、もう一方は、死んだあとの、葬儀やお墓という葬送にかかわる話です。実は、平成期というのは、日本の葬送が激変した時代でした。私が取材を始めたのも、時代が昭和から平成に変わる頃でして、国内で初めて永代供養墓(集合墓)ができ、散骨が始まったのでした。当時の私は「ちょっと変わった、まちの話題」くらいの認識でしたが、その後、想像を超える速度で墓も葬儀も変わっていきました。葬儀をせずに埋葬する「直葬」が出始め、海洋散骨、樹木葬の人気は高まっています。遺骨を寺に送って供養してもらう「送骨」も珍しくなくなった。それと同時に、「引き取り手のない遺骨」も急増しています。身元がわかっているのに、親族が遺骨を引き取りにこないのです。

 「私を引き取る人がいません」。これは神奈川県横須賀市の一人暮らしのアパートで、突然死した男性が残したメッセージです。死後、数カ月して自室で見つかりました。人生の最後に誰ともつながっていない。これほどの絶望の言葉を、私は知りません。孤立して亡くなる人が増えれば、当然のごとく、「特殊清掃」のニーズが首都圏を中心に増えています。現場に残された「死臭」を、たぶん医療者は知りません。死は医療の範囲外だからです。

 地域コミュニティが崩壊し、家族が変容して、多くの人が「ひとり」で生きています。あと?年もすれば、単身世帯が4割になるという推計もあります。しかも、平成後期の経済沈滞で、格差も広がっています。つまり、おカネの余裕がない孤独な人たちが想像以上に増えているということです。

 繰り返しますが、人は人生の最終盤を誰かの「支え」なしには生きていけません。「ひとり」を前提とした仕組みをつくが大事です。そして個々においては、生きているうちから「お互い様」に支えあうネットワークを築いていく必要があると私は思っています。


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リーフレットはこちらから ダウンロードできます↓
遺族の会 ふれあい
ホスピス 110番
仙台ターミナルケアを考える会