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  平成元年1月24日、任意団体「仙台ターミナル・ケアを考える会」を結成

  主な活動
   1.セミナーの実施(平成24年3月末現在123回実施)
   2.シンポジウム、講演などの開催(22回)
     (平成21年5月 20周年記念講演会を開催)
   3.ホスピス設置に関する陳情、請願の実施
     (平成6年12月21日、陳情採択され、県立がんセンターへ
       緩和ケア病棟開設)
   4.ホスピス建設を目指した募金活動の実施
     (スペルマン病院・県立がんセンターへの寄付)
   5.「ホスピス110番」の設置・運営
   6.遺族の会「ふれあい」の運営
   7.在宅患者、家族、ボランティアへの支援(ボランティア養成講座の実施)
   8.啓発活動(出前講座)の実施
   9.広報活動及び会報の発行

  会員数の推移
   設立時(平成元年8月)   51名
   平成24年3月末日    210名





仙台ターミナル・ケアを考える会のあゆみ

1988年(昭和63年)

823日、「ターミナル・ケア研究会」発足の準備会を開催した。

1025日、同じく第2回目の会合(1回研究会と称した)を開催した。

(以上については別項16ぺージ掲載の「メモ『ターミナル・ケアを考える会』発足までの経緯」、及び「ターミナル・ケアを考える会の発足」(山室誠)参照)

1989年(昭和64年、平成元年)

1月24日、仙台ガーデンパレスで出席者51名により、第2回研究会を開催したあと、本会の設立総会に移行した。会議次第は、次のとおりである。

1 発足までの経過報告

2 今後の活動について

3 会則制定

4 役員選出

(資料には、年度末現在の会員数を47名としている)

4月22日、及び6月27日の2回にわたり、テーマ「末期がん患者の看護」による公開シンポジウムを開催した。

参加者は、4月が180名、6月が89名であった。

97日、本会が呼びかけた関係団体との共催による「医師向けセミナー」を開催したところ、来会者は約150名におよんだ。

演題は、本会副会長の葛西森夫氏による「がん治療の進歩と現状」、及び滋賀医科大学教授の中川米造氏による「治療としてのインフォームド・コンセント」であった。

葛西氏は、食道がんを専門として臨床面で治療にあたって来られており、その豊富な経験をもとに、がん治療数十年の歴史と成果を淡々と述べられ、聴衆に深い感銘を与えた。

中川氏は、インフォームド・コンセントについて、当初に強調された法的側面だけでなく、医学的、治療的な面に焦点を当て、人間を歴史や背景を持つトータルの生きた姿でとらえた場合の問題である、と力説された。

1990年(平成2年)

11月24日、県医師会館で開催された年次総会では、会員数を85名と見込んでおり、翌年度の事業計画として、次の4点、

1 福祉部門による福祉、看護、医療セミナー

2 医療部門による医師向けセミナー

3 宗教部門によるターミナル・ケアと宗教

4 家族部門による家族の語らいとGrief education(悲嘆への教育)

を挙げている。

総会に引き続き、「ターミナル・ケアと宗教」のテーマにより、キリスト教、仏教、天理教、三者それぞれの立場からのシンポジウムを開催した。

会は、作家でもある菅原頑氏のユーモアあふれた司会のもと、各宗派から、死生観、死に対する具体的な対処、尊厳死の問題、がん告知への考え方などが披露された。

その後、聴衆との活発な応酬もあり、ターミナル・ケアの現場に対する宗教界からの具体的な提言もあって、会は極めて有意義に終始した。

1991年(平成3年)

61日、この日から医療、家族、宗教、福祉、4部門の担当により、毎月第1土曜日に「生と死のセミナー」を、定期的に実施することとした。

セミナーの第1回目は、仙台市青年文化センターにおいて医療部門の担当により、「終末期医療―よい終末を迎えるには―」のテーマで開催した。内容としては、この春に千葉で開催された「日本ペインクリニック学会」公開講座シンポジウムの録音を、山室誠氏の司会によって学習するというもので、参加者は36名であった。

9月17日、第35回仙台がん治療懇話会が開催されるに当たって、会では出席希望者を募ったところ多くの会員が参加した。

その席上、「ターミナル・ケア、ホスピスでの体験」と題する柏木哲夫氏(淀川キリスト教病院副院長)の講演があり、感銘を受けた方が多く、翌年3月のセミナーでもそのビデオによる学習が行われた。

1992年(平成4年)

1月17日、艮陵会館での年次総会では、事業計画に

1 ホスピス建設を目指しての募金活動

2 ターミナル・ケア現場のニーズに対応する体制

3 講演会、部門研究会などの催し

この3点を掲げた。

そのほか、会の財政強化を図るため、従来は個人加入としていた会員に加えて、賛助会員を募集することを計画した。

9月12日、仙台国際センターで開催した公開シンポジウムの「ターミナル・ケアを考える」では、医師、患者、ソーシャル・ワーカーの三者が、それぞれの立場からの率直な意見を出し、来聴者321名に感銘を与えた。

また同時に行われた講演「末期がんの苦痛は救える」(講師、国立がんセンター麻酔科部長の平賀一陽氏)については、ユーモアを交えた判り易い話に魅了された聴衆から、苦痛に対する恐怖と不安が大分和らいだ、との声が間かれた。

1993年(平成5年)

この年、地元紙の『河北新報』が18日から44日まで、「さよならをいう前に―がんとターミナル・ケア―」のシリーズ56回を連載し、県下ばかりでなく東北全域に大きな反響をよんでいた。(このこともあって、会員数は202名に急増した)

2月のセミナーは宗教部門の企画による、「河北新報の連載記事を読んで」のテーマだった。地域の関心は高く出席者は230名に及び、予定していた会場を急いで変更しこれに対応した。

4月のセミナーも、テーマは「河北新報―さよならをいう前に―パートU」であり、150名の参加があった。

65日、青年文化センターでの年次総会では、かねてから懸案となっていたホスピス建設を目指す行政への働きかけ、募金活動や基金の創設のほか、ターミナル・ケア110番の実施について検討している。人事では、事務局長が大沼隆氏から斉藤潔氏に代わった。

総会の後には「ターミナル・ケアを実践して」と題する、左近司光明氏(財団法人慈山会医学研究所付属坪井病院院長)の特別講演があった。

6月25日には、山室会長ほかの役員が本間宮城県知事に対して、「宮城県立がんセンターへの緩和病棟設置について」の陳情書を提出している。

11月には、大衡村役場から平林会館で開催する「ターミナル・ケアを考える大衡の集い」に講師派遣の依頼があった。

これに対し、会からは山室章会長、会員の白戸良子、斎藤義子両氏が参加し、司会を鈴木宏光氏が担当して地域の理解を高めた。

このころ、会の財政強化を図るため、賛助会員を募集しようとして役員が会社訪問を行ったりした。

12月1日、「ホスピス110番」を開設した。開設の動機は、事務局に相談電話が来ることからだった。

相談時間は、毎水曜日の13時から16時まで(祝祭日、年末年始を除く)、電話番号は「022-211-1718」、当初は、佐藤幸子、佐々木千里の両役員が対応した。

内容については、「傾聴を中心とし、医療相談は行わない」ことにしたものの、相談者の期待を考えれば「110番の役割として疑問が残る」スタートだったと『本会・ニュース8』は伝えている。

(翌年7月13日現在、相談は延べ31回、24件の実績があり、多くは傾聴と方向づけで終わっているが、一部の必要と思われたものについては、希望により専門の先生を紹介してきた、と『ニュース9』に報告されている)

1994年(平成6年)

5月、山室会長以下の役員5名が、浅野宮城県知事に対し、「宮城県立がんセンターへの緩和病棟設置について」の陳情書を提出した。

また同月、宮城県立がんセンターの涌井昭総長に対し、9月には斎藤栄夫宮城県議会議長に対して、同様の請願を行った。

6月18日、エル・パークで行われた年次総会では、役員側から年間の事業計画について、特にホスピスの建設を目指す運動を重点にしたいとの説明があった。これに対して会員側から、広報活動によって市民のターミナル・ケアに対する意識を高め、ホスピス建設の早期実現を図る署名運動を実施したうえ、行政当局へ反映して強く働きかけることが必要ではないかとの意見が出された。

役員側からは、これを重く受け止めその実施時期を検討したい、という答弁があった。

9月から11月にかけて、会はホスピス設置請願の署名運動を展開した。特に10月29日の街頭署名活動には、山室会長以下23名の大動員によって、この日だけで1,643名もの賛同が寄せられた。

12月、署名者数の最終結果は、51,273名に達した。

集計に当たった会員は、署名への添え書きを読んだり、奉仕した会員の労苦を思いやったりしながら、署名簿の空欄を切り貼りしたうえ製本し、12月16日、齋藤栄夫宮城県議会長に提出した。

(「ニュースbP0」には、「署名運動を終えて」と題する斉藤潔氏の報告が掲載されている)

 12月21日、ホスピス設置の請願は採択された。

1995年(平成7年)

2月、「『ターミナル・ケアを考える会』だより」が、創立メンバーの一人である山室誠氏の提案により創刊された。(現在のスタイルは、このときから始まっている)

3月29日、「患者と家族の会」が発足した。

同会は、同じ悩みを持つものたちがありのままの心を話し合うことによって、少しでも元気になれればと願い、「患者と家族が話し合う場」をつくることにしたものであった。当初、代表者は宍戸朗大氏、世話人は菅原恵子さん、会場は事務局としていた。

(翌年8月、この会を「SHG、ふれあい」とよぶこととした。「ふれあいを通した、セルフのS、ヘルプのH、それを高めていくグループのG」と説明されている)

例会のルールとして

1 宗教や、政治、民間療法、その他の勧誘をしない

2 秘密を守る

3 悲しみ比べをしない

4 自分の持ち時間に注意する

この4点を挙げており、現在は県社会福祉会館のボランティア室で実施している。

3月、宮城県ホスピス懇話会が設置された。

学識経験者、医療専門家、関係団体の代表者ら10名の委員によって構成され、当県におけるホスピスケアのありかたを検討するものであった。

本会からは、山室章会長、役員である草刈兵一郎、小笠原鉄郎の両氏、会員の小野敬子さんがメンバーになった。4回に及ぶ協議の結果、96年2月、宮城県が取り組むべき推進方策として、

1 緩和ケア病棟の整備 

2 在宅ホスピスケアの充実

 3人材の育成

3点が答申された。

そして、特に宮城県立がんセンター・緩和ケア病棟の整備、民間医療機関がホスピス病棟を整備する場合の支援、などの必要性が取り上げられた。

(『ニュース、bP3』には、事務局の佐藤幸子さんがその傍聴記と題して、報告書案の紹介や、署名活動の成果としての思い、それに要望実現への期待などを綴っている)

その後の経過については、96年、県に「緩和ケア病棟整備事業策定会議」が設置されてその基本計画が策定され、98年には基本設計、実施設計の予算が決定、完成は確実なものとなった。

6月10日、仙台国際センターでの年次総会に際して行われた特別講演では、東京都医師会会長の福井光寿氏を講師に招き、「いのちの輝き」と題する講演をおこなったところ、240名もの来聴者があった。

12月16日には、セミナー第40回の節目に当たり、評論家として知られた故山本七平氏の夫人である、山本れい子さんによる講演会を開催した。

演題は「七平、ガンとかく闘えり」というもの。七平氏はがんを察知して「若い頃の胃痙攣(けいれん)手術以来、生かされてきたのだ。これまでの人生はオマケ。感謝、感謝」と叫んでいたという。夫人は看病十ヶ月を振り返って、「一日一生」の日々だったと回想し、「よく死ぬことは、良く生きることだ」という、矛盾した言葉の意味がよく判るようになったとのことだった。

12月の「ニュース、bP3」は、「ターミナル・ケアのボランティア研修」について、かねて会員の聞から要望がでていたとして、その「実施要綱」を発表したが、要旨は次のとおりである。

(全期間で、講義が20時間、実習が8時間である〉

1日、人間―生と死、病の癒し

2日、患者の心理、臨床の心

3日、患者の治療、痛みのコントロール

4日、介護の心、介護の技法

5日、看護、訪問

6目、ホスピスの歴史、ホスピス・チームの一員としての役割

1996年(平成8年)

5月18日から8月10日までの6日間にわたる、第1回ホスピス・ボランティア研修講座が終了した。定員30名の予定に対して53名が参加し、44名が修了した。

(この研修はその後も5年間にわたり継続実施し、3回目からは広く会員外の希望者にも対象を広げた。全期間の研修修了者は、199名〈うち会員、172名〉である)

6月15日、エルパークで行われた年次総会の特記事項としては、総会の定足数について従来は「過半数」としていたが、実情を反映し「三分の一」に改めたこと、役員について副会長の西山広宣氏が辞任したこと、などがあげられる。

なお、ホスピス基金の使途に関する質問に対しては、会員や寄付された篤志家の意向をも考慮しながら有効に活用したい、と会長の意向が表明された。

総会に引き続いた講演会では、特養ホーム愛泉国園長の佐藤千栄子さんが、「いのちを考える」という題で講演した。乳がん手術の体験もある佐藤さんは、「告知はなかったが、なくてもがんだと思って生きていけばいいのだ」と心を切り替えたとのこと。施設に働いていると、親孝行は「遠くにありて思うもの」ではなくて「近くにありて実践するもの」だと痛感する、とも語っておられた。

1997年(平成9年)

31日、「生と死のセミナー」は第50回のエポックを迎えたので、記念行事として特別講演とシンポジウムを青年文化センターで開催したところ、出席者は464名の活況を呈した。

シンポジウムの題は「ターミナル・ケアにおける家庭の役割」というもので、パネリストは、東北労災病院の小笠原鉄郎部長、宮城県立がんセンターの岡部健医長、それに白石市海上病院の海上寛院長、この三氏だった。

また、特別講演は、聖ヨハネ会桜町病院の山崎章郎部長による、「尊厳のある生と死を考える」というものだった。

6月28日、県民会館で開催された年次総会では、副会長の一人について新たに吉永馨氏(東北労災病院院長)を選出した。修了後の講演は、東京ライフシステム代表である佐藤智氏による、「在宅でこそその人らしく」と題するものだった。佐藤氏は、患者からの「常に連絡がとれるように」という要望がキッカケで、会員組織である現在の「ライフケアシステム」をつくったのだという。氏は、「自分の健康は自分で守る」、「病気は家庭で治すもの」、「在宅は患者が主人公」等々をモットーとされてのご活躍を、熱心に説明された。

9月には、大阪大学人間科学部教授で淀川キリスト教病院名誉ホスピス長でもある柏木哲夫氏の特別講演会が、「ターミナル・ケアと緩和医療」の演題により、東北医療研究会との共催で行なわれ、聴講者は800名に及んだ。お話は、ホスピスケアの三要素である、症状のコントロール、患者とのコミュニケーション、家族のケア、このそれぞれについて丁寧に説明された。その一つであるコミュニケーションについて、「患者をめぐってはスタッフ、患者、ペット、自然、等々との意思疎通があります。とはいっても患者が、奥さんにだけとか、お孫さんにだけとか見せる笑顔は、誰にも作り出せないのです」と、家族の重要さを強調しておられた。このころの動向について「ニュース、bP5」は、東北労災病院で数年前から一般病棟でのホスピス・マインデッドケアを実施しており、数年後にはホスピス病棟を設置する計画があること、東北大学の付属病院でも、ホスピス病棟設置が改築計画に盛られている、との情報を伝えている。

また民間では、スペルマン病院が間もなく具体化する見通し、としている。

1998年(平成10年)

6月20日、県民会館で開催された年次総会では、事業計画の新規事項として、いわゆるNPO法の成立に伴い、会のNPO法人化を目指すこととした。

引き続いた記念講演では、宮城教育大学教育学部の西郡光昭教授が「宮城県におけるターミナル・ケアについて」と題して、宮城県保健福祉部長在任中の話をされた。西郡教授は、成人病センターの改築から始まった話ががんセンターへ、そして緩和ケア病棟へと進展していった経緯を、詳細に説明された。その中でホスピス病棟の新設については、当時、医療陣に延命第一という発想があって、緩和ケアとか尊厳死などは視野になかったようなものですと述懐されて、ターミナル・ケアへの期待を寄せていました。

11月7日、医療セミナーの講師は、「ホスピス病棟を開設して6カ月を経て」と題した、光が丘スペルマン病院ホスピス科の亀岡祐一氏であった。

本会では、例年にその建設計画を知って前途の難関を思いやりつつもその早期実現を期待していたが、この春の開棟を祝し、ホスピス基金から一部を割いて記念設備を贈った。

(会では発足以来、その情報誌「ニュース」を発行していたが、bP7(98/11)から「会報」と改称した)

1999年(平成11年)

(発足10年を迎えたこの年、会員数は394名に達した)

2月27日、会は創立10周年記念のパーティと講演会を勝山館で開催し、宮城県立がんセンターの山室誠診療部長が、「『ターミナル・ケアを考える会』の十年を振り返って」と題する記念講演を行った。

(講演内容は、「会報、bP9」に掲載済。その中で、鹿児島にも「ターミナル・ケアの会」が誕生したのは、鹿児島大学のE先生が来仙のおり、本会のセミナーに接して強い感銘を受けたことが動機になっている、とのエピソードも紹介されている)

会では、この日、小冊子『がんと知って生きるために―患者と家族にできること―』を作成頒布した。本書は遺族である会員5名が中心となって、まさに「がんの患者、家族のために」と編集したものであった。冊子は大きな反響を呼び、患者を抱えている友人に贈るためとか、学校の教材にしたい、などと遠く海外からまで注文が殺到し、用意した4,500部はたちまち払底したので、更に1,000部を増刷して要望に応えた。

73日、仙台文学館で行われた年次総会では、創立以来10年もの長期にわたり会長として活躍された山室章氏が勇退され、後任に山形孝夫氏が推挙され就任した。会は山室氏を名誉会長に推戴して、その功績をたたえることとした。また、副会長は3人制としたのでその一人に太田信実氏が、事務局長には斉藤潔氏に代わり煤孫晴夫氏が選任された。

総会に次ぐ記念講演では、前国際啄木学会会長の遊座昭吾氏が「文学における生と死」について話された。

氏は、鴎外、『源氏物語』、『楢山節考』などにみられる死生観について語ったあと、賢治の最期について詳細に紹介された。彼の作品を思い合わせるにつけ、その鋭い感性を聴衆にあらためて確認させるものであった。

8月、NHK仙台放送局が、「ふるさと発のドキュメント―がんと知って生きるために―」を放映することになり、会に協力を求めてきたので、7月から始まる放送準備に資料を提供するなど7回のシリーズに寄与した。

(翌年3月、会はNHK仙台放送局から「NHK東北ふるさと賞」を恵贈された。本会が「末期がん患者とその家族を支えるボランティアとして、冊子『がんと知って生きるために』を発行するなど、その活動が番組で紹介され全国から大きな期待と反響を」呼んだ、と評価されたものだった)

11月、会は、県立がんセンターのボランティア・コーディネート事業を受託した。これにより常時2名のコーディネーターを確保してセンターに派遣することとなった。

2000年(平成12年)

 6月10日、エルパークで行われた年次総会では、人事について、事務局長は煤孫晴夫氏に代わって佐藤幸子さんが就任した。終了後の記念講演では、県立がんセンター麻酔科に勤める日下潔氏が、「我が家のターミナル・ケア」と題する講演をおこなった。

氏は、さきに父母たち家族四人の最期を看取ったがその体験から、医療の専門家である身辺でも、早期治療といい、病名告知といい、決して思うようではなかったと述懐された。また、子どもたちは祖父母が衰弱する姿に接したり、世話をする親の姿を見て、格別に命の尊さを学んだことだろうと思いますと語られて、聴く人たちの共感を呼んでいた。

8月、「ホスピス・ボランティア講習」は既に5回を終え、一応希望者には応じ尽くしたとみて、その問題点を提起している。

その結果、例えば内容をレベルアップした中級コースを設けるとか、中級講座を県内の各ブロックで実施するとかについて、検討することとなった。

2001年(平成13年)

2月に開催された特別講演会では、ホスピスケア代表の季羽倭文子(きばしずこ)さんが、「新しい在宅ホスピスケアを求めて」と題する講演を行った。季羽さんは、介護保険と緩和ケアとの並行に現れる問題について事例を挙げて説明されたり、「在宅」特有の諸問題について、対応の基本と応用について説明された。そして在宅ホスピスケアを担当していると、在宅特有の事情が問題を困難にもするし、思いがけない可能性が生まれたりもする、とその複雑さを説明した。そして、「残された短時日」の聞に、患者や家族が大きく成長するのを見聞することがよくあるので深く感動している、とのことだった。

69目、戦災復興記念館で行われた定期総会では、前仙台オープン病院院長で牡鹿町立寄磯診療所長の富永忠弘氏が、「医師ががんになったとき」と題して、臨床医のがん闘病体験談を披露された。

氏は、「三たび肘を折って良医となる」のことわざをマクラにしたうえ、闘病一年にして初めて患者の立場から、病気や生命、そして病院医療を眺め、患者対医師のあり方を考えさせられたと語った。そして「医師である患者」なればこそ、また「医師である患者の担当医」なればこそ、の「ミス」を指摘しておられた。

2002年(平成14年)

(会員数について、この年の3月末現在356名となっている)

2月の特別講演会では、カトリック司祭で「風の家」を主宰される井上洋治氏が「全人的ケアとは」と題して、スピリチュアル・ケアについての考察を話された。

「長い闘病や看病も、その意味を見付けると苦しいことにも耐えられます。心のもち方次第で意味が違ってくるし、周りの人たちによっても違ってきます。自分が役に立っているのか、いないのか、それは目に見えるものだけではないことを、知って欲しい」、先生は、お話をこのように結んだ。61日、エルパークで行われた年次総会で、会長は山形孝夫氏に代わって新しく前副会長の吉永馨氏を選出するとともに、副会長を勇退された葛西森夫氏については、長期にわたって会のために尽力されたご活躍に対し、新設した名誉会員に推してその功に報いることとした。後任の副会長には前事務局長の佐藤幸子さんが、事務局長には新しく中村昇氏が就任した。

2003年(平成15年)

3月に行われた特別講演会では、国際文学療法学会会長の鈴木秀子さんが「死者と生者の仲良し時間」と題して、「多くの方々の不思議な体験」を話された。先生は、伴侶を亡くされた方がそのことで自分を責めるのはよくないことです、といわれる。過去はそこから学ぶためにあり、現在はそれに誠意を持って当たるため、そして未来は希望を語るためにあるのです、と力説しておられた。

5月の年次総会では、役員の佐藤幸子氏(日赤)が職務多忙のため辞任され、後任に金子純雄氏の推薦があって承認された。そのあと引き続いて本会名誉会長の山室章氏が、「人の『生と死』を考える」と題して講演されました。

先生は、親しかった伊藤栄樹氏や山本七平氏らの独創的な生き方や死生観を紹介された後、法曹界に携わった先生は、日ごろから判断の尺度は「世界人権宣言」によっているとし、特に第1条の深い意味をみんなもよく理解するように、と求められていた。

また12月には、NHKの「お天気博士」として知られる倉嶋厚氏を招いて、「やまない雨はない」と題する特別講演会を開催した。ご夫人をがんで亡くされた倉嶋氏は、間もなく激しいうつ病に悩まされたという。周囲の機転で精神科に入院し、長い治療のすえ全快して今に至っている氏は、精神科などへの偏見をなくすよう力説されていた。そして、追い詰められているときでも、多様な発想が「正常」に戻すとも、時間が何よりの妙薬だとも、述懐されていた。

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リーフレットはこちらから ダウンロードできます↓
遺族の会 ふれあい
ホスピス 110番
仙台ターミナルケアを考える会