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  平成22年度「生と死」のセミナー

「命の贈り物 歌と祈りの包み紙」 松田牧人 氏


   

 2006年8月、当時3歳の長女が急性リンパ性白血病を発病しました。発病当時、最初は夏風邪かと思っていましたが症状がひどくなり、幾つかの病院での検査を経て、最終的に病名を告知されました。 彼女は現在、闘病生活を経て8歳になり、元気に生活をしています。 当時の私たちは「白血病=死」という認識でした。娘の葬儀の場面を何度も想像し、涙が止まりませんでした。否定的な考えで心が占められるのを防いでくれたのは、毎朝、聖書を開き、祈る時間でした。ある日、旧約聖書のヨブ記というところに目が留まりました。信仰深い資産家ヨブが家族や財産を失い、自らも重度の皮膚病を煩う。その悲惨な状況の中で彼は次のように言いました。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

 この言葉は「あって当たり前のものは何一つない」と主張しているのです。ヨブという人はそのことを認め、過酷な状況下でも感謝をして神をほめたたえます。様々なものを心のどこかで「当たり前」と思って来た傲慢な私に対して、「何様のつもりだ!命は有り難い贈り物なのだ!」とメッセージが響きました。それ以来、私たちは方向転換をし、「この娘と出会えたこと、これまで三年半“も”一緒に過ごさせてもらったことは辺りまでではない。今日一日も生かされた。有り難い。」と心に言い聞かせるようになりました。

 その時以来、私たちのテーマは「有り難い」になり、少しずつ自然に口から歌が溢れてくるようになりました。また、心を静めて祈ることも大切にしました。病室を歌と祈りでいっぱいにしようと思ったのです。ある人々は「祈りなんぞは弱い人間のすることだ」と言います。しかし、人間誰しも弱く、全員が死への秒読みをしています。どんなにあがいても自分の寿命を一日も延ばせないし、一秒だって時計を戻すことはできないのです。でも、祈りは、そのような弱さや限界を抱えている私たちを「四方八方塞がっていたって、上が開いているじゃないか」という世界へと私たちを招きます。

 娘が退院する時、病院スタッフ方が「お祈りの力ってあるんですね」と言ってくれました。私たちは病室でもよくお祈りをしていました。それを見ていたスタッフの方は「この家族が希望を失わずに前向きに生きているのはお祈りの力なんだ」と思ってくださったようです。私たちが祈っていただけではありません。私たちは世界中、日本中、たくさんの人たちの祈りに取り囲まれていました。本当に自分のことのように心配して涙を流して祈ってくださる方々が多くおられたのです。

 命の長い短い、お金や地位のある無し、境遇はいろいろあります。筆舌に尽くしがたい辛い経験、苦痛の中を通ることもあるでしょう。しかし、もしその中でも「命の贈り物の有り難さ」に心を向け、感謝すべきことを見つけ、歌と祈りを携えて生きることができたなら…。神様が私たちに語りかけ、力を与え、そのように導いてくださいますように。





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遺族の会 ふれあい
ホスピス 110番
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仙台ターミナルケアを考える会